Q184.「コミュ障」「陰キャ」と自称する息子に、悲しい気持ちになります。
中2の息子がいます。勉強や運動がそれほどできるほうではありませんが、とても優しい子です。中学に入ってから、「オレ、コミュ障なんだよね」とか「陰キャなんだよね」という言葉が息子からよく出るようになりました。友達と話しているときも、そういうことを言っていました。息子のこういう自虐的な言葉を聞くと、ものすごく悲しくなります。差別的なラベルを自ら貼ってほしくないと思います。また、「そういう自己卑下が、他人からの評価にもつながってしまうのではないかな」、「自分の性格でつらい思いや、生きづらさを抱えているのかな」と、心配も募ります。息子はたしかに控え目な性格ですが、そんなつまらないラベルで自分を表現してほしくないのです。私の悲しい気持ちに、どう整理をつけたらいいでしょうか。
A.自分の気持ちに気づけたあなたは、心を整理する準備ができています
「コミュ障」という言葉は、「コミュニケーション障害」の略語としてインターネット上に広まりました。医学的な意味をもつ言葉ではなく、コミュニケーションの苦手な人たちを揶揄するネットスラングです。「陰キャ」は、人間の性格を陰と陽に分けて「キャラづけ」する言葉です。「陽キャ」が対義語です。性格が陰気かどうかにかかわらず、スクールカーストの下層に位置する人やグループを指して「陰キャ」と呼んだりもします。いずれの言葉も、他者や自己を卑下する意味で使用される言葉です。
そのような言葉を、息子さんが自分自身に向かって使うのを聞いて、悲しい気持ちになってしまう。その気持ちに、どう整理をつけたらよいのか、というご質問ですね。
まず、ご自分の気持ちが「悲しい」ということに気づけたあなたは、とても冷静な方だと思います。とかく私たちは、何が原因で、どういう感情を抱いているのかをキャッチできないまま、落ち込んだり、イライラしたり、ごまかしたりして生きがちです。そこをきちんと「息子の自虐的な言葉を聞くと、悲しい気持ちになる」と分かっているあなたは、すでに自分の気持ちを整理する準備ができています。
次に悲しい気持ちの根底にあるものを確かめてみましょう
それでは、どう整理をつけたらよいのでしょうか。それは、自分の悲しい気持ちにしっかりと向き合うことです。「どうして私は悲しい気持ちになるのか」について、とことん考えてみてください。あなたの気持ちは、あなたにしか分かりません。たとえば息子さんにもっと自信をもって堂々と生きてほしいというあなたの願いがあるとしましょう。そうでないように見える息子さんにどうして悲しくなるのでしょう?
もしかしたら、あなたが自分に自信がないのかもしれませんし、息子さんの自信を奪うような言葉や行為を、あなたが息子さんに投げかけたことへの後悔があるのかもしれません。あなた自身が差別的な言葉を向けられたときの悲しみが忘れられないのかもしれません。あなたの理想とかけ離れた息子さんへの憤りがあるのかもしれません。生きづらそうな息子さんが可哀そうで仕方がないのかもしれません。じっくりと自分の気持ちについて考えつづければ、「ああ、この悲しみはそういうことなのか」という納得感に行き着き、気持ちの整理がつくはずです。
質問への回答はここまでですが、次に息子さんの気持ちについても考えてみませんか。息子さんが自虐的な言葉を自分に向けるのはどうしてでしょう。本当の気持ちは息子さんにしか分かりませんが、想像することはできます。
息子さんの気持ちに寄り添って見守ってあげましょう
私たちが自虐的な言葉を使うときはどのようなときでしょうか。自分を貶めることによって他人から言われることを防ぎたいような自己防衛が働いていたり、過度な期待をされたくない気持ちがあったり、「そんなことないよ」と言われるのを待っていたり。あるいは、「だからつらいんだ、助けて」というSOSかもしれません。
中学生の息子さんは、その時期特有の精神発達の途中にあります。よりよく生きたいと理想に向かって努力するようになりますが、人からどう見られているのか非常に気になる年頃です。また、他者から認めてもらいたいという欲求が大きくなりますが、自分の内面を見つめることができるようになるため、不甲斐ない自分も見えてきます。理想と現実とのギャップに戸惑いながら、不安定な自分を、どうにか守るための策が、自虐的な言葉なのかもしれません。先入観を持たずに「どうしてそう思うの?」と聞いてみるのも息子さんの心を知る方法の一つですね。
親であるあなたにできることは、自分の悲しい気持ちに整理がついたならば、今度は息子さんの気持ちに寄り添うことでしょう。親が自分のことを一生懸命に考え、「あなたは大丈夫だよ」と信じて見守ってくれているだけで、息子さんは安心するのではないでしょうか。それは、息子さん自身が、自分に向き合う勇気へと、通じていくことでしょう。